白 鳥
平成13年3月2日、日本を代表する一つの列車が長い歴史に幕を閉じようとしていた。
大阪駅11番線、10時12分発特急白鳥、青森行き。
これを聞いて懐かしいと思わない方はほとんどいないであろう。
大阪駅を10時12分発に発車し、およそ半日をかけて青森まで走る昼夜特急の中では日本一の
距離を走り有名だった。白鳥は1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正でキハ82系12両で誕生
し、当時は直江津で切り離し、青森方面と碓氷峠を越え上野へ向かう(現在のはくたか)と言う一流特急
であった。また北海道に向かう最終の船にも接続している列車でもありました。
1982年ダイヤ改正で上野方面へ向かう信越白鳥ははくたかに改名し単独特急となった。
青森に向かう青森白鳥も単独となりましたが、当初より長い14両編成での運転でした。
1972年(昭和47年)より白鳥は485系化され当初は13両編成でした。
交直流50/60HZの3電源方式の485系において、この白鳥が一番車両を生かしきったものとも
言われていました。この頃は編成も白鳥専用編成で自由席も連結されず、まさに別格の女王でした。
しかし1978年(昭和53年)在来線の全国の電車特急にイラスト付きヘッドマークが採用されると同時に
12両編成に減らされ固定運用は無くなり他の列車との共通運用になった上に、グリーン車が1両減、自由席
3両の連結と別格さが失われた上に、航空機の促進や、自家用車の増加、上越新幹線の開通で
白鳥の将来は危ぶまれていきます。1982年のダイヤ改正では、上越新幹線の接続を主点とおく
ダイヤに組みなおされた他、停車駅も多く新幹線接続を主体とした福井白鳥が9両で誕生します。
そして1985年(昭和60年)一つの運命的な出来事が起こります。まず新幹線接続のダイヤ体系が強化
され福井白鳥が北越系統にまとめられ早々と消滅します。編成も10両と短くなったので受け持ちが
向日町に変更された上に、なんと食堂車が廃止されてしまいます。この頃から長距離列車の時代は
終わりへと進んでいきます。1986年(昭和61年)とうとう白鳥が9両と短くなってしまいます。
受け持ちも上沼垂区が担当し、青函連絡船の廃止により誕生からの仲間を失います。
その後は急行はまなすとの接続となり、停車駅も急増し都市間連絡特急のようになっていきました。
この頃の特急白鳥は上沼垂区のいわゆる上沼垂色で運転され、その塗装とヘッドマークの組み合わせは
多くのファンを呼びました。1997年(平成9年)上沼垂から再び過去の向日町、京都総合運転所に配置を
変える事になりましたが、上沼垂色の車両はグレードアップ車で、向日町の485は標準車だったため
サービスダウンにつながると言うあまり喜ばしいことではなかったそうです。
しかしファンには嬉しかったようで、国鉄色で走る白鳥が復活したと喜ぶファンも多かったのです。
そしてこの頃から特急サンダーバードが走り後に増発の道へと進み白鳥にじわじわと追い討ちをかけ
迫ります。サンダーバードが増発される中、開いたような隙間のダイヤをひっそり走る白鳥に往年の
輝きは最早遠い昔のようになっていました。
そして平成13年3月2日、多くのファンに囲まれながら、白鳥は新たな旅立ちへと去ってゆきました。
私が知っている白鳥はその歴史のほんのわずかにすぎませんが、思い出をたくさんありがとう。


ボンネット形のヘッドマーク。
かなり使い込まれている。


非貫通形のヘッドマーク。
幕式のため比較的綺麗であった。


伝統ある行き先方向幕。

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