BGM 別れの曲

新たな鉄路への旅立ち
2005年1月17日、後藤総合車両所より気動車7両が旅立ちの第一歩を刻んだ。
キハ28、キハ58系計7両、元米子運転所所属の車両だ。山陰線内の主力車両として
普通・鳥取ライナー等でこの時代には珍しい国鉄形で国鉄色のキハ28・58が
使われていた。毎日当たり前のように山陰の各地区を走っていたある日、新型気動車
キハ120、126が誕生する。運用目的地は、山陰・・・。
製造された新形車両は続々と米子運転所、西鳥取車両支部へと送られ試運転が行われ
引退の日は近づいていた。そして2003年10月1日のダイヤ改正で一気にキハ28・58
は運用を離れすことになり、9月30日には引退セレモニーが行われた。
その後境港線の運用のみしばらく残りそれが終わると、入場、緊急で代走等に利用された。
そして2003年冬、山陰豊岡〜浜坂地区の乗客がかにシーズンと共に増える為、毎年応援
に行っていた列車にキハ28・58が選ばれ、計7両が豊岡に送り込まれた。
その後この列車はリバイバル白兎・但馬にも使用され、米子・西鳥取の58・28の最後の
華となった。タイへの譲渡回送が行われるのはずいぶん前から幾度か行われておりタイ国鉄
では多くの日本車両が第2の人生を歩んでいる。山陰地区で最後まで使用されていたキハの
中で、第一陣となったのは2004年2月9日4両であった。この時は他に岡山・山口車も
共に譲渡された。そして今回2005年1月17日、後藤総合車両所より7両の気動車が
新たなる活躍の場、乗客の笑顔を求め旅立っていった。
ありがとうキハ28・58。
新天地で彼らは最後まで鉄路を駆け抜ける。

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早朝のまだ日も上がらない大阪駅に、エンジン音も響かせず機関車に牽引され、
彼はひっそりとやってきた。1月18日午前5:56分9番線のことだった。


久々に大阪駅に入線した彼はどのような気持ちだったのだろうか。


豊岡〜浜坂で使用されていた中の1両。良い音を出して奮闘していた。


先頭部分は全て内側を向き顔を除かせてくれなかった。
それは痛んだ顔を見せてやりたくないと思う作業員の最後の優しさだったのかもしれない。


1両混じる砂丘色。現役時代は国鉄色と共に編成を組むことも多かった。

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